恐怖の泉

心霊スポット「慰霊の森」

慰霊の森(いれいのもり)は、全日空機雫石衝突事故の跡地に整備された場所です。
現在では追悼よりも航空安全祈願を込めて「森のしずく公園」という名称へ変更となりました。

1971年7月30日、岩手県岩手郡雫石町の上空を飛んでいた全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が接触、双方とも墜落しました。自衛隊員は脱出に成功し生還しましたが、旅客機の方は空中分解して乗員乗客162名全員が亡くなり、慰霊の森となっている場所に墜落しました。

衝突してから操縦の効かなくなった旅客機は落下と共に加速し、空中分解。その様子を偶然見ていた地元住民は
「音がして外を見たら、胡麻粒のようなものが降っていた」
と証言しています。
落ちてくる人がそのように見えたというわけです。

高度約8,500mから高速で地面に叩きつけられたら…想像するのも恐ろしいですが、事故現場はまさに凄惨の一言で、バラバラになった機体と遺体がそこら中に散らばっていたと言います。

そんな出来事があった場所に作られたのが「慰霊の森」ですから、不謹慎な話ではありますが普通の土地であるはずがありません。
事件が一瞬の出来事でしたから、自分が亡くなったことにも気づいていない魂が多くいらっしゃるのかもしれません。
ネットではまことしやかに、この慰霊の森が日本最恐の心霊スポットだという意見が聞かれます。

事故で亡くなった方々の魂が安らかになることを祈って。合掌。

【慰霊の森の場所】

慰霊の森の怖い話

こんにちは、はじめまして。50過ぎのオッサンです。
私は、この「慰霊の森」の原因となった全日空機と自衛隊機の衝突時に空中を流される被害者の姿を目の当たりにしたひとりです。
これから、お話しする内容は、全て事実ですが、興味本位で、死んだ方々の心を傷つけるようなことだけは是非ともお止め下さい。
もし、表現で不愉快になった場合は、心からお詫び申し上げます。

さて、私が中学1年生の初夏の頃だったと思います。
当日は、雲ひとつない爽やかな日で、私は友達の誕生日パーティーになんとか混ぜてもらい、友達の家でお菓子を食べていました。

午後三時過ぎだったと思います。いきなり大爆音がしました。
なんだ?と思うと、テレビに緊急速報で、自衛隊機と民間機が衝突したという速報が入りました。
皆は自分らが住んでる町のすぐ西側にある秋田駒ケ岳上空ということで、すぐに外に出て、そちらの方向を見ました。

当然、雫石から衝突現場までの距離は40kmくらいあるので、そんなの見えるはずもないかと思いきや、はるか上空で衝突して破壊された残骸が偏西風に流されて、この町内の山まで流されてきました。
その流されている時見た黒い粒粒が人の姿だったのです。

幸い、町内には機体の小さな一部やガラス片が降ってきただけでした。
しかし、形状のしっかりしていた部品や人は、雫石町内を超え、慰霊の森となった山まで流されたのです。
大人は五体がばらばらになり、子供はそのままで、地面に数メートルめり込む形で落ちてきました。
当時、遺体の発見は比較的スムーズにいったのですが、ばらばらになった遺体は悲惨だったようです。
その遺体をつなぎ合わせ、町内のある場所に集められ、その後町内にある寺で供養されました。

わたしは、小さい時から霊を見る能力ももっていたのですが、何かノコノコ(蝉の幼虫の方言)を取りに行こうという声に誘われ、その寺に遺体が供養のため持ち込まれていることも知らず、寺の敷地内にある杉の大木でひとり遊びをしていました。
すると、寺のお堂から何人もの人が出たり入ったりしていました。
しかし、その姿はまるで影が意志をもって動いているようでした。その影のひとりが、私に気付き、声をかけてきました。

「おい、ボク。ここはどこだ?」
「ココ、ココは雫石だよ」
「雫石ってなんだ?」
「盛岡の横だよ、知らねえの?」

そう言う会話をすると、その影は苛立ってお堂の中に入っていきました。

同じ頃、慰霊の森となる森の入口付近で、タクシーや車を必死で停めて家に帰ろうとした方もいたようです。
事故に遭われた方々は、自分が死んだことにまったく気付かなかったと思います。

その後、自分はその寺に行かなくなり、どうなったのか知りませんが、寺でのそのような噂話しは聞こえてこないので、なんとかなったのでしょう。
ただ、慰霊の森は分かりません。
私はどうしても行くチャンスがないんです。多分、拒否されているのでしょう。

余談ですが、その事故が起こる数日前、戦闘機と飛行機が衝突し、その慰霊の森に多くの鶴が降り立つ夢を見せられました。
私は、その頃、飛行機はすべて鶴のマークだと思っていたので、全日空機だったのですが、合わせたのでしょう。
この事件は、当時を思い出すと、悲しみと恐怖が蘇ります。どうか、事故に遭われた方々が早く成仏できることを心からお祈りします。どうか、興味本位では決して行かないで下さい。苦しんで死んだ人の心を傷つけないでください。

Yahoo!知恵袋・itoq3312さんの回答より引用


オカルト大好きな小沢県民だったら誰もが知ってる、あの森があるよな。
東北でも最強クラスの心霊スポット!飛行機墜落事故で有名な雫石のあの森だ。
俺なんかもうすぐ三十路だっつうのに、あそこの話をするだけで鳥肌がたっちまう。

当時担任だったオカルト好きの小学校の先生が、こんなことを言ってたっけ。
「遊び半分であそこだけはいっちゃいけないよ。仮にもし君達が、大人になって誰かと行くことになったなら、階段の数でも数えてみるといい。誰一人同じ数じゃなくなるだろうね」
って。

今はどうだかしらんが、一晩置いて行かれた女が白髪になった話とか、車が手形だらけなるとか、昔は特にヤバかったらしい。
エンジンかかんなくなるとか、今でも普通にありそう。

中でも俺が聞いた一番怖いのは、仲良し6人組で、悪乗りして広場みたいな所でキャンプをしようってことになったらしいだが、昼にテントを張る時いきなり始まってたって話。
すでに一人多いんだってwww
気づいたけど、誰一人そのことにつっこまなかったって。そんな状況になったら顔も上げれないよなw
大急ぎでテントを組み立て中に入ると、「熱い・・・」等、ささやきが聞こえてくるし、テントは手で触ったかのようにガサガサ揺れたらしい。
彼らはなんとか我慢して、明るくなったら逃げだしたそうだ。


うちの父ちゃんは筋金入りのバカだったので、大学のサークルも『オカルト研究会』とかいうのに入って、毎シーズン心霊スポットに凸ばっかりしていた。

2年の夏休み、その年はちょっと遠出をして、岩手の『慰霊の森』に行こうという話になった。
メンバーは父ちゃんと同期、先輩2人で、4人を乗せたバンは夜の1時頃に目的地に到着した。
車を停めて、一行は懐中電灯片手に慰霊碑へ。

途中、足場が悪くて何度か転んだが、それ以外は特に何事もなく、線香をあげて下山。
「何も起こらなかったな」と談笑しながら、4人は乗ってきたバンのもとへ。
乗り込んでエンジンをかけたところで、父ちゃんはションベンがしたくなったという。
ひとりの先輩とともに、立ちションをしに降りた。

ややしてションベンを済ませ、車の方に向き直ると、車の上に何か居た。
そいつは車の上に仰向けに寝そべり、手や足をめちゃくちゃに振り回して、激しいブレイクダンスを踊っているように見えた。
ただ、体中にやたらと多い関節が、ありえない方向に曲がりまくっていた。

しばらく呆然としてその光景を眺めていた父ちゃんだが、そいつが勢いのあまり車から落ちたところで、はっと我にかえった。
いつの間にかションベンが終わった先輩が横に居た。

父ちゃんが興奮気味に
「ヤバイっすね!見ました!?今の!すげえ踊り!」
と横を向くと、先輩は
「ちげえよ、ありゃ千切れかけの手足振り回してただけだ」
と言って泣きそうな顔。
車の下では、まだ何かがバタバタともがいているようだったが、父ちゃんたちはそれを見ないようにして車に乗った。

因みに、あの事故で手足がちぎれそうになりながらも僅かの間生きながらえたような犠牲者はいない。
きっとあそこには、事故犠牲者以外の何かが居る。

スポンサーリンク

TOP